クスコ郊外

 いつの間にか傍らを鉄道が通っている。クスコからここまではスイッチバックで登って来るそうだ。点在する農家の合間をクネクネと縫う様に敷設されていて、まるで鉄道模型のセットか箱庭を見ているようだ。 

 やがてその鉄道も遠く離れて見えなくなったところで、気が付くと景色は一変していた。なだらかなアンデス高原地帯が、「赤茶と数種類の緑と金色に塗り分けられた、巨大なパッチワークの絨毯」の様に展開している。そしてそれは、どこまでも続いていた。私にとって、帰国後ペルーと言えば思い出すのはこの景色だ。

 赤い色はけして肥沃とは思えない、絶え間無く表土の流出を運命付けられた土地の地肌であり、何色かにぬり分けられた緑は、作物であったり「イチュ」と呼ばれる葉の細い繊維質の草等の織りなす作品。金色は取り入れを控えた、とうもろこし畑であった。私の人生で見た最も美しい風景。

 「すてきな世界だ。」私は半ば興奮気味になっていた。篠田氏がニコニコしながら「収穫の時期なのだ。」と、嬉しそうに解説する。彼は本当にその収穫を歓んでいる様に見えたし、私もなんだか嬉しい気持ちになって来る。「金色の収穫」言葉にならないキーワードが心を独占していた。インカ帝国の起こる遥か以前から、ここは豊に耕されていたはずである。それは同時に、表土の流出との戦いであったのだろう。痩せた土を見てそう確信した。

 そんな景観の中を一本道が貫いている。民家=農家が点在しているけど、柵というものが無い。機械化されていないのに、一つの農家が受け持つ耕作面積は、恐ろしく広い。かといって、パッチワークにぬり分けられた畑の一つ一つは、それほど広いものではない。動物性タンパク源なら羊がたくさんいるし、トウモロコシやジャガイモをバランス良く栽培すれば、多分食料に関しては自給自足が可能なのではないか?

 事実、篠田氏の「最近はこの辺の農民も、現金収入が増えた。」という言葉もそれを裏付けていた様に思う。手作りの土産物を売るらしい。

 ところで私が想像していた、険しい冠雪の山景はいったいどこにあるんだろう?

 私達の乗ったバスは、アンデス高原のどこまでもなだらかな起伏の上に引かれた一本道を進む。ほんの少し高くなった丘には、そこだけノドカな小さな雲が掛かり、2〜3キロ離れた丘では、雲の切れ間から射す数条の光が、宗教的な美しさを醸し出していた。

 少しずつ青空が見えてきた。さきほどからどうも気分が悪いので、さては高山病か乗り物酔いか等と考えていたのだが、実は私の後頭部にいつの間にか日光が当たっており、赤道に近い太陽の攻撃を受けて、単にオーバーヒートしていただけだった。山の天気は変わり易いとは聞いていたが。

 やがてバスは丘陵地帯の縁と言うべき、ウルバンバ川を遥か下に見降ろす場所にやって来た。と言っても、下方の雲が邪魔になってよく見えない。土地の人々は、「ふっ!」と吹くおまじないをするのだそうで、やってみたら効果は上々で、時々麓の村が見えることもあった。

 いつの間にか、付近の農民らしき女性が来て、手芸品を並べて買えという。その子供達3人が何か(多分カネだと思うが)くれと手を出している。母親の足は一日中ドロンコ遊びした子供の様に泥が付いていた。おそらくは畑仕事を途中で放棄して、現金収入の可能性のある私達のところに来たのだろう。周囲の雲が晴れて来ると、すぐそばに家畜小屋と殆ど区別がつかない小さな土塀の家が在った。

 母親もそうだが子供達も声が小さく、ニャァニャァと猫の様に聞こえる。さっきからずっと手を出しているので、日本から持ってきたミルクを板状に固めた菓子の残った一つを与えたところ、お兄ちゃんがしっかり手に握ってしまい、弟が手を出してもピシャリと叩いて寄せ付けない。後でちゃんと分けてあげたのかな?

 目まぐるしく変わる雲行きは、朝の山地特有の気まぐれ天気なのであろう。昼に近くなる頃には、すっかり晴れていた。農耕地の台地状高原地帯から一挙にウルバンバ川の流れる麓に降りて行く。周囲は赤茶けた土と石がゴロゴロした景色に変わってきた。やはり傾斜地では、表土の流出によって耕作には適さないのだろうな。

 川の流れはかなり上から見ても水量の多い濁流だ。周辺は畑の緑に彩られてはいるが、基本的には乾いた土地柄なのだ。この川があの高温多湿のアマゾンの源流とは、にわかには信じ難い。

 谷の反対側の斜面には、インカの昔から続いている段々畑が見えている。

 川の名と同じウルバンバの村を抜けて、隣のユカイ村に向かう。いずれの村もこの川に沿った場所にある、谷間の集落である。どうもこの谷は険しい峡谷ではないので、氷河の痕のU字渓谷らしい。今夜の宿になる、ユカイ村のかわいいホテルに着いた。敷地内には山小屋風の2階建てが幾つもあり、庭園やパティオ、また小さなしかしりっぱな教会まである。昔の大地主の家を改築したそうで、けっこうな実力者だったに違いない。

 外は直射日光下で暑いのに、通された部屋はひんやりしていた。しかしとてもきれいな部屋で、日本の観光地なら結構なお代を払わねばならない位だろう。トイレは水洗だし、バスルームは湯船と言える程の深さを持っている。

 昼食まで多少時間が空いたので、村のその辺を歩いてみた。美しい庭園のホテルを出たら、いきなり泥と糞の臭いがお出迎えしてくれる。そういえばさっきホテルの入り口付近に羊の群れがいたっけ。

ツアーのメンバーの数人が左に行ったので、私は一人で右に歩いて行った。水溜まりと糞を避けながら歩いて行くと、インカ文明の得意技である潅漑用水路があった。大小の石を積み重ねて造られた用水ではあるが、底はすっかり水草に覆われて見えない。特に生物らしき姿は見えなかった。

 インディオとスペイン人の混血らしき中年女性が、親しげに早口で話しかけて来るのだが、もちろん言ってる事は解らない。「私は日本人だよ。」メキシコ・シティの一件の時の様にそれだけ伝えるのが精いっぱいだ。

 ホテルの前は草に覆われた広い空き地で、子供達が10人くらいで遊んでいる。なんとなくそこが地元の聖域であるような気がして、踏み込めなかった。後で聞いたらそこはただの公園であった。


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