リマ市内
昨夜の様に、4時間位で目が醒めてしまった。はじめからこの調子では、体調を崩してしまうかもしれない。
毛布のヒンヤリ感は、どうも重たい湿気のせいらしい。南極からの冷たいフンボルト海流が、赤道近くのこのあたりで、温かい空気に触れて霧が発生すると、何かで読んだ記憶がある。湿った砂漠地帯というのは、なんとも奇妙なものだ。
簡単に外れて下に落ちてしまいそうな、窓ガラスを開けて椅子にもたれ掛けながら、騒々しく眠らない街の雰囲気を、全身が確認しようとしていた。5:30頃、「パパーン!パーン!」という銃声が。あれは車のバックファイアの音ではない。何が起きているのだろう?政情不安という言葉が脳裏をかすめる以上に、好奇心の方が勝っている。
やがて、視界2km位のスモッグの中で、夜明けを迎えた。周囲のコンクリートの家屋の屋上は、何処も埃だらけで、そこを有効利用するという発想はあまり無いらしい。
朝食の時間になると、まだ7時だというのに、街は既に活気に包まれている。出勤の時間帯なのだろう。お菓子やジュース類や色とりどりの果物を載せた屋台が、街角で店を広げはじめた。朝食をとる2階のテラスから、望遠鏡で眺めながら、ツアーの仲間と買い食いの相談を始めた。コンチネンタル式の朝食では、全然もの足りないので、あの見た事の無い果実が、とても気になる。
買い食いをするにしても、買い物をするにしても、まずUS$をこちらの通貨「ソル」に替えなくては。1ソルは日本円で約50円。ホテルのフロントで両替を頼んだら、やけに時間がかかる。どうやら近所の銀行まで行ってくれたらしい。それなら、自分で両替を経験してみたかったのに。受け取ったお金を見ると、ソルだけかと思ったら、以前の通貨「インティ」の札束が混じっている。やたらにゼロがたくさん並んでいるのが、数年前までのインフレのものすごさを物語っている。このインティ札は、どれも手垢でボロボロ。
午前中はミラフローレス地区を、例の5人組で歩き回った。ここは比較的治安が良いということだ。別にナイトを気取るつもりはないのだけど、結構無防備なお姉様達なので、どうしても周囲に対して鋭い目を向けてしまうアランちゃんであった。
先ほどの様な大小の屋台が、街中に点在している。扱い品目としては駅のキオスクの様なもので、菓子スナック類を中心に飲物やフルーツを積み上げてあった。ディスプレイの仕方は、どの商品の銘柄がよく見えるように工夫してあり、これには見習うべきモノがあると思う。
飲物と言えば、ペルー名物「インカ・コーラ」を忘れてはいけない。コークやペプシというダークブラウンの世界の定番中で、この黄色く透き通った飲物は、ちょっと不気味だ。でも必ず一回は飲んでみたい。その場ですぐに飲まなかったのは、どれも冷えていないからで、自動販売機が浸透している日本が、懐かしいと思う自分が情けない。
表通りに出るとワゴン車の乗合タクシーが、「ウィンウィンウィン」という、一時期日本でも流行った、暴走族様御用達のホーンを鳴らしながら近づいて来る。車掌兼客引きが、大声で行き先を告げている。オイオイその車、とっくに定員オーバーじゃないか?別に私は乗らないからいいんだけどさ。
道路の横断は、車の合間を縫って駈け渡るのが基本。「郷に入っては郷に従え」というが、この旅行が終わった後に大阪に出張した時に、あれほど信号を守らない関西人を嫌っていた私が、率先してルールを無視するようになっていたくらい、スリルがあって楽しかった。
10m置きにいるモグリの個人両替屋さんが、「カンビオ?」と言いながら声を掛けてくる。そう、彼らはカンビオと呼ばれている。彼らの手にはインティの札束と、小型の電卓が握られている。カンビオと言うのは、スペイン語での通信では、言葉の最後に付ける「どうぞ!」にも使うし、この両替という行為もカンビオだし、フジモリ大統領の革命に近い変革も、カンビオと呼ばれているそうだ。「カンビオ?」「ノン!」何度繰り返したことやら。
所々にペルー名物の観光ポリスが立っている。もちろん普通の警官もいる。最も治安の良い地域とは言っても、金融機関の前ではガードマンがショットガンを携えて立っている。彼らには談笑する余裕があったが、銃砲店のガードマンは目の配りがピリピリしていて、ドキドキするほど恐かった。平和の維持費が高くつく国だこと。それでも失業者や食いつめた市民が、街に溢れるよりはましなのかもしれない。
どうでもいい事だけど、公園の靴磨きがみんな制服を着ていた。公共の失業対策の一貫なのか、それともどこかのボスに営業権を握られているのか?
午後の市内観光に出かける為に帰って来てから、ホテルの窓から何気なく海岸近くのビルを見ていたら、濃い霧?がやってきて、あっと言う間にそのビルを包み込んでしまった。何か凄いものを見た様な気がする。
昨夜の小型バスで、午後の市内観光に出る。できれば、このままインカの首都クスコに行きたいところだけど、そこはツアーの悲しさ。その昔ラテンアメリカ最大の都市であったこの都市の活気溢れる旧市街は、治安が不安ということで車窓から眺めて回る。
旧市街は、先ほどまでいた新市街ミラフローレス地区とはうって変わって、大勢の市民の姿で溢れている。どちらかと言えば、服装や履き物を見る限りでは、裕福な層ではない様に見える。きちんとした商店より、屋台の方が圧倒的に多い。ときおり青空市場で賑わう横丁が見える。その度に降りてあそこに行ってみたくてたまらない。
カー用品と言えば聞こえは良いが、早い話がスクラップの中でもなんとか使えそうな部品を、青空展示しているのが目につく。器用なペルーの人達は、なんでも使えるように修理してしまうそうだ。反面盗難も多く、盗られた車はたちまち分解されて、店頭に並ぶことになる。
市中には治安維持の為に、軍の装甲車が警備にあたっているのが散見される。先日盗難車の集まる地下市場を、当局が急襲したところ、装甲車も一台出てきたそうだ。しっかり管理しろよな、ペルー軍。

大統領官邸の前にある公園では衛兵と観光ポリスに守られて、のどかに写真撮影ができた。フジモリ大統領が不在だったから。 故天野氏のコレクションを集めた、天野博物館に着いた。ここでは天野婦人自らが説明をしてくれた。ここでアンデスの古代文化からインカ時代に至る、一連の国家機構と付随する文化の離合集散がよく理解でき、クスコに入る前に聞けてよかったと思う。
織物や土器の壷を、手に持たせてくれるのが嬉しい。特に土器の見かけによらず軽いのには本当に驚いた。残念なことに、リマの博物館はここしか見られなかった。有名な黄金博物館は、午前中の自由行動の時間に行って来た山内さんだけしか見ていない。
見物の順番は前後するけど、一応他に見物したものを記しておく。まず市内にあるピラミッド。ペルーには、アンデスから砂漠地帯を抜けて太平洋に注ぐ、33本の川があって、川周辺のオアシスに独立した集落や文化が存在した。リマもリマック川があってこそ開かれた街だ。このピラミッドは、坂はあるけど階段が無い。これが建設された時には、階段という概念は無かったのだろうか?
市内には側溝が無い。雨が降らないので、そんなものはいらない。建物も雨に対する備えが出来ていない分だけ、低コストで建てられるそうだが、10年前には雨が降って、けっこうな被害にあったらしい。
街路樹は、全て下から1mくらいまで、白っぽく着色されている。あれは何故か?と聞いたら、美観の為だと言う。私は他の理由ではないかと思うのだが、本当の事は判らない。例えば動物がかじるのを防ぐとか。
人が沢山並んでいる場所があった。聞けばTV公開番組の入場希望者が、順番待ちしているとのこと。ちなみにペルーの失業率は2割とのことで、暇人が多いのだ。
市内観光の最後は、夕暮れの海岸。狭い浜を見下ろす高さ50mくらいの丘の上で、デートコースになっているそうで、カップルがたくさんいた。お世辞にも海はきれいとは言えない。それもそのはずで、市内の廃水を海に垂れ流しているそうだ。ここは夜来た方が、ロマンチックが損なわれないので良いと思う。経済の立て直しができたら、こちらの対策も忘れないで欲しい。
市内観光の後は、みんなで夜の市内へ繰り出す。この地区はだいたい8時から9時までは開いているそうだし、今日はハナキンでもある。思った通り夕暮れの街は、午前中とはまた違った顔を見せている。公園では大道芸や、生バンドによるタンゴのダンスパーティも催されているし、バザールの様な露店や絵画の即売も出ていて楽しい。
どうも福祉団体とおぼしき人が、キャンデーを1袋買ってくれという。1ソルということで、平均月収4000円のペルーにしては高価だとは思ったけど、怪しいエキゾチックな包紙に興味がそそられて、つい買ってしまった。これがなんとも妙な味で、独特のの香りがする。この後ペルーとボリビアでなめたキャンデーは、全てこの独特の香りを持っていた。甘味料にその理由があるのだろうか?
夕食に帰る前にCDショップに寄って、ペルーの楽団が演奏したCDを買った。乱暴なスペイン語だとは思ったけど、自分で買い物はしてみたい。店員が薦めたのは、民族音楽フォルクローレだった。
その夜、5人組の一人で主婦の山本さんの部屋で、酒盛りが始まった。明日からは高山病に用心する為、アルコールは飲めなくなる。自分の部屋に戻って、ベッドにもぐり込むと、隙間だらけの窓から、遠くの或いは近くの楽しげな音楽が聞こえていた。明日からは、いよいよアンデスを訪れるのだ。今夜も眠れそうにないな。多分.....
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