5月4日

クスコから高原列車

 クスコには二つの駅があって、一つはマチュピチュ方面に向かう列車の始発駅で、昨日までお世話になった。もう一つはボリビアとの国境やチチカカ湖に近い、プーノという町まで行く線路の始発駅になっている。狭いクスコの町にどうして駅が二つもあるのかは、後でそのホームに行ってみて判った。

その朝はマチュピチュに出かけた時の様な早起きはしないで済んだけど、これから十二時間もの間列車に乗り続けるのかと思うと、早く出発してくれた方がいいかもしれない。

例によって小型バスに乗ってホテルを出たら、すぐに駅に着いてしまう。駅の敷地に入る鉄の扉が開けられ、私達のバスがそこに吸い込まれると、すぐにそれは閉じられた。警官が何人か居た。テロ対策であろうか?それとも無賃乗車や盗人の横行に手を焼いているのだろうか?

 駅舎の中は地元の皆さんでいっぱいだ。多少白人の旅行者も混じっている。切符売場が何処にあるのかは覚えていないが、黒板にチョークで書いた手書き料金表があった。ようするに時価ということらしい。寿司ネタと一緒だな、こりゃ。

 たった一つのプラットホームに出ると、線路は広軌だった。それで駅も二つあるということなのか...昨日までのマチュピチュ方面の狭軌では揺れが激しかったけど、今日のは線路の幅が新幹線と同じ広さなので、快適な旅が期待できそうだ。

 列車は機関車に引っ張られるタイプで、観光客専用の客車は機関車のすぐ後ろに接続され、その後ろに一般車両がいくつかつながっている。一般車両はあまりきれいとは言えない。私達の乗る観光客専用の客車は、比較的新しくきれいな色の塗装を施してあるのだけど、横の下の方の塗装がボロボロに剥げていた。まるでガリガリと擦られた様に。

 ツーリスモと大きく書いてある。馬鹿野郎!これじゃテロ組織の格好の標的になってしまうじゃないか!

 客車には私達日本人の他にも白人のグループや個人旅行者が乗り込んでいた。全員乗り込んでしまうと、車掌が客車の内側からしっかりと鍵を掛けてしまった。そして出発の予定時刻8:00になった。のだが、一向に出発する気配は無い。

 なかなか出発しないし、アナウンスがある訳でもない。車掌に「外に出たい」と言ったら、ダメだと言う。絶対に開けてくれないのだ。出発したのは1時間45分も遅れてであった。約12時間掛かるという旅の出発からこれだもんなぁ。プーノの手前のフリアカという駅では、アレキッパ方面から来た列車と接続する予定になっているから、こちらが遅れた分だけ待たせる事になるし、我々のプーノ到着が深夜に及ぶ可能性もある。ホレ見ろ。遅れるから、客は余計な事を考えているぞ!

いきなり出発した。少しでも遅れを取り戻す走りを見せてくれるのかと思ったら、おもいきり遅い。走り出してすぐに止まり、ガコン!と連結器の引きちぎれそうな音を立てて又ゆっくり走り出す。クスコの郊外に出るまでそれは続いた。郊外とは言っても、緩やかな傾斜地に建設された市街の端っこのけして裕福とは言えない地区を出ると、不毛の谷間になるだけだ。

昨日までのマチュピチュ方面に向かう鉄道の眺めとはうって変わって、パサパサした感じの火山灰台地の谷間を、川に沿って進んで行く。ウルバンバ川なのだが、地図によるとこのあたりでは名前が変わっている。

走りだした時に嫌な予感がしたのだけど、その予感は当たった。広軌で快適な列車の旅と思っていたけど、この客車はハコが重たくて反面それを支える板バネが弱いのだ。その為に最後までローリングが止まらず、揺れが激しい時にはバネの限界を越えてしまい、ガツンゴツンと底を打つ様なショックを何度も経験することになる。とにかく揺れること揺れること。広軌であることの恩恵には預かれない。

文句はたくさん書いたけど実は鉄道の大好きな薩摩少年としては、楽しくてしようがないのだった。

 車窓の眺めは、川とその周辺に展開するU字峡谷が続いている。時々停車するところには集落や村があって、何処にでも人は住んでいるもんだと一人で感心したりする。ちなみにこの鉄道の観光車両は、毎日走っている訳ではないそうだ。かといって我々の乗った列車が急行だったりする訳ではなく、各駅停車であるから駅に着く度に物売りの姿や、ちょっとしたパフォーマンスが展開されたりする。

 どこの駅でも売り手はそこいらの石を手に持って、客車を叩いて注意を引きつけようとする。私達の乗った客車の下部分の塗装が剥げていたのはこの為であった。これが結構やかましくて、無視していると振り向くまで叩いているし、それが次々をやって来ては買えと言ってる。

 もの売りで目立つのはパンの様な食べ物と、特にツーリスモ車両の両脇には土産物売りが、例のパン!と胸の前で広げて見せるあれをやっている。

 中から鍵を掛けたツーリスモ客車から、私達も外に出る事はできないから、商談は窓越しにする。その窓も下の方は開かないので、我々は席を立って、売り手は思いきり手を上に伸ばして「高い!」「マケろ」等とやるのだ。右側の客が買わないと、連結器の下をくぐり抜けて左側の客にアプローチしている。

食べ物は、ツーリスモ車両以外の車両の客に売れているみたいで、我々の所には熱心に売りに来ない。物乞いもいた。この国に来て初めて見た。

我々に向かって「何かくれ」という身振りをする少年が居る。ふと気が付くと、次の駅にもその次の駅でも、その少年は我々に笑顔を見せていた。こいつはプロのタダ乗り師に違いない。駅に着く度に同じ笑顔を見せてくれると、何となく親しみを覚えて、金をやってしまおうかとも思う。最後までやらなかったけど。毎日何百キロも旅をしながら、このパフォーマンスで少しの金や品物をせしめているのだろう。

 マチュピチュの13のつづら折り坂では、人間だけが通れる近道を使って、バスの先回りをして、何回も姿を見せて手を振り、そのパフォーマンスで観光客から金を稼いでいる少年がいるという話を聞いた。それと同じ様なものだ。日本にだって織田信長の家来になったばかりの秀吉が、けもの道を使って同じ様な事を主人の前でやったという話もある。

 何故か沿線の犬はやたらと列車に向かって吠える。後でガイドブックを見たら、同じ様な体験が書いてあった。結論、ペルーの犬はかわいくない。

 昼食もこの缶詰列車の中だ。我々の乗ったツーリスモ車両の席は、2人づつの向かい合わせボックス席で、その向かい合った人の間には、固定のテーブルがあって結構便利だった。ここに昼食や飲物のサービスが運ばれて来る。

 そういえばこの客車は、外観より中が短い。どうも4分の1は厨房になっているらしくて、他のメンバーがドアの隙間から、ジャガ芋を剥いているところを見たそうだ。

 ウェイターというのだろうか、キャビンには従業員が一人だけ出たり入ったりしていているのだけど、他には見た事がない。このウェイターの顔は黒く、ケチュア族やスペイン系とは全く違っていて、この辺では異種である。どちらかと言えばネグロイド系なので、彼の生い立ちやらルーツに思いを巡らしてみる。

 そのウェイター氏が一人でテーブルに昼食を運んで来る。始めに下が末広がりになった金属の花瓶に差した花が、テーブルの真ん中に置かれる。列車はメチャメチャ揺れているのだけど、「食卓に花!」この余裕たるや大したものだ。まぁもっとも一人で運んでいるのだから、時間が掛かること掛かること....肉とジャガイモとスープだったと記憶している。

 クスコに来てからというもの、食後の飲物を聞かれる時には必ず「マテ?」「カフェ?」と、後ろのトーンが上がるのだ。これが段々耳についてくる。マテとはマテ茶、コカ茶とも言うそうで、コカの葉を湯に漬けただけのご当地名物である。我々は今コカインの原料を飲んでいるのであった。おいしいとは思わないけど、帰国後に「ちょっと南米でコカをやって来たんだぜぇ」と言いたいだけの不純な動機だったことを、この際告白してしまおう。

 サクサイワマン遺跡のところで話に出たインカ道。後の世にインカ帝国と呼ばれた国の、情報や治世の重要な動脈であった。今でもペルーのあちこちに残っていて、トレッキングコースになっているそうだ。山賊が出るらしいので、けして安全ではない。私達の列車に乗り合わせた30歳のドイツ人男性が、 マチュピチュに近いコースを踏破して来たと言っている。彼は2カ月の休暇をもらっているそうだ。羨ましい。

 日本にも行った事があると言っていた。「この列車はペルーのシンカンセンだ」「それじゃあのデコボコ道はペルーのアウトバーンだね」。ちなみにこの会話は英語でやっている。念のため。

我々ツーリスモ車両と機関車の連結機の間に、人影が動くのが見えた。(テロリストだったらどうしよう)。つい半年程前に首謀者の捕まったテロ組織「センデロ・ルミノソ」の残党は、今でもペルーのあちこちに散在しているという。日本人観光客は誘拐すればカネになるだろうし、組織を壊滅に追いやったのは日系人の大統領だ。

一人でそんな物騒な事をあれこれ考えていたが、よく見るとタダ乗りのインディオの男性であった。列車の連結器は日本の鉄道のそれより大きくて、一人だけなら乗っていることも可能だ。しかしこの大きく揺れる走行中にあっては、ロデオの様に危険な行為だと思う。目が合ったので手を振ったら、ノンキに手を振り返した。

 段々とクスコから遠ざかり、高度が上がるに連れて、駅周辺の集落も小さくなって来た。乗降客も少ない。あのタダ乗り師の少年もいつしか姿を見せなくなっていた。時折リャマやアルパカや羊などが放牧されているのに出合う。

 先ほどの連結器のインディオも適当なところで飛び降りて行った。ノンビリ走っているので、怪我は無かったのだろう。

 あい変わらず板バネは何度も限界を越えて、ガツンゴツンと床にショックを与える。この列車が次の瞬間に脱線してもおかしくない程、客車は上下左右にローリングしているので、肝っ玉の小さい私は気が気では無かった。そういう人間に限って余計なものを見てしまうという良い例で、ごく最近脱線したばかりと見られる、貨車がひっくり返っているのを私だけが見つけてしまった。楽しいけど恐い。恐いけど楽しい。

車窓の眺めは、ただひたすら痩せた土地が続く。雨は少なくないのだろうが、表土の流出は止まらないのだろう。遊牧の家畜による食い散らかしが、それに輪を掛けているような気がする。

 遥か川下のマチュピチュあたりでは、高度が低いせいもあるが、谷間は常に湿潤であるのに対して、同じアマゾンの源流ではあっても、この辺までは湿った空気が届かないのだ。一般に知られるアマゾンの不健康なイメージと、この爽やかな高原の眺めの対比が面白いではないか。

 どこまで行っても、イチュの草原と黄緑一色の山々が果てしなく続いている。その山の向こうには、雪を頂いたひときわ高い山が見えることもある。私の住んでいる所沢あたりでは、雪山が見えてもそれは100Km以上も離れているという概念であったから、何となく遠い山に見えたのだけど、あとで地図を見てみたらほんの数キロの距離であった。既に列車は4千m近い高度に達しようとしていた。あと少しだけ付け足せば、万年雪の高度になってしまう。

始めのうちは、鉄路は川の流れに沿って敷かれていたが、この辺まで来ると、緑の絨毯を抉るような川が線路に近付いたり離れたりと蛇行している、と言った方が正しい表現になりそうだ。川幅は目立って狭くなる。アマゾンの源流の一つに近付きつつあるというだけで、なんだかワクワクしてきた。

周囲の起伏はなだらかになり、既に渓谷のイメージではない。もはや小川としか言い様の無いくらいの、小さな川が見え隠れ。ちょっと油断している間にそれはもう見る事が出来なくなっていた。

 ほどなくして列車は、乗降客など殆どいない小さな駅に停車した。別にアナウンスがあった訳でもないが、ここが標高4314m鉄道世界最高地点の駅「ラ・ラヤ」なのであった。この辺まで来ても、息は苦しくもなんともないぞ。自分の順応性も大したものじゃないか。

 どうでもいいけど、もう午後の3時をまわっているというのに、長い鉄道の旅のまだやっと半分の地点まで来たに過ぎない。

 この記念すべき駅を出てから間もなく、再び小川が見え始めた。しかし、さっきと違うのは、明らかに我々の乗った列車の進行方向に流れている。私達は世界最高地点の駅を越えると同時に、アマゾンの分水線を越えていたのだ。

 ほぼ同じ地点から北と南に分かれた雪解け水のこちら側は、一旦チチカカ湖にそそいだ後、何千キロもの長い川を下って、再びブラジルの河口付近で出合うはずだ。

 分水線を意識し始めた頃から、周囲の景色が段々開けて来る。先ほどまでは車窓の両側に、山の起伏が近付いたり遠ざかったりしていたのに、右側の山の連なりは次第に遠ざかるだけになり、その後2度とその麓を走ることはなかった。それでようやく勘の悪い私も、盆地に入ったのだという事に気が付いた。

 線路は直線の区間が多くなって来た。そういえば列車の揺れが少なくなっているな。

 はじめのうちは湿潤な土地の様に見えたが、しばらくしてからは、イチュだけが疎らに生えている荒れ地の様相になる。眺めはアンデスというよりも、TVや写真でよく見かけるモンゴルみたいな、国籍不明の景色だと思う。

 日がかなり傾いて来たので、この盆地の荒れた景色を一層寂しいものにしている。緑の絨毯もいつしかグレー掛かっている。人間のいる気配も感じられないほど荒涼たる眺めではあったが、時折停車する駅の周辺だけは、疎らな家と放牧と人の姿が見え、開墾地あるいは入植地といった風情が続く。

 畑もあった。しかし車窓から見ても、トウモロコシやジャガ芋の葉の元気がないのがよく判った。地力が弱いのであろう。「何もない...」ここから先、何度この言葉を出したか知れない。日本の美しさとの対比をしようとは思わないが、ここでは生きるということに素朴なひたむきさを感じてしまう。

 列車の後方に日が沈む。遠くの山塊は、スポットライトに当てられた様にオレンジに輝き、フェードアウトしていく。近い山の三角形の頂上付近は、下地の緑と夕日のオレンジに塗り分けられていたが、間もなく消灯した。そして一番星。長い列車の旅で他に楽しみが無いから、目に映る事象を最後まで見届けられるほど暇なのであった。

 日本の秋空の夕刻と変わらない。日が暮れてしまうと、他に見る物も無い退屈な時間が、車窓の景色にベールを掛け始めた。あと4〜5時間もこの列車の中に揺られていなければならない。1時間45分も発車が遅れたことを、ちょっと恨んだりする。

 客車内の電灯が点いたのは、もうかなり暗くなってからのことで、どうやらバッテリーをケチっている様だな。薄暗い中で「貧民大貧民」が始まってしまった。トランプを持って来た犯人は私だ。

 停車する駅には電灯など点いていないから、真っ暗な中で人が蠢いている。例の鉄道最高度駅のラ・ラヤあたりでは、殆ど乗降客はいなかったけど、この盆地に入ってからは、また増えてきた。ペルーの内陸部では比較的大きな、プーノやフリアカといった町に出かけて行くのであろうか?それとも家路を急ぐ人々なのか。

 先ほどの一番星は、満天の星空に続くイントロダクションであった。最近視力の落ちた私の目にも、プラネタリウムの様に見える星、星、星々々....私達の列車は、半円球のドームの様な宇宙を貫く銀河鉄道になっていた。それはひたすら南十字星に向かって走っている。ユカイ村で見た時と同じく、北斗七星が日本で見るそれよりも大きなスケールで輝いている。退屈なはずの夜の列車が、こんなにもすばらしいものになろうとは。

 ときおり停車する駅では焚火が唯一の光なのだが、星空に感動している自分にとっては、それさえも邪魔である。そういえば結構寒くなってきた。

駅に到着する度に客車の電灯が消されてしまうのは、ツーリスモ車両に乗っている観光客に対する治安の為なのか?と考えもしたが、やはりバッテリーを長持ちさせる為に違いない。ペルーに来てから、効率の良い蛍光灯にはついぞお目に掛かったことが無い。

終点プーノの百キロほど手前のフリアカの駅では、長時間に渡って停電するらしく、一般車両では盗難も多いらしいから、そのことを本で読んで知っている私と幾人かは、懐中電灯を用意しはじめた。


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