登山口の記帳所の「戻りました覧」にサインをして、無事に帰って来たことを記す。確かに危険な所は何ヶ所もあったが、マチュピチュの写真を見る度に、「俺は此処に登ったんだぜ」と人に言えるのが嬉しい。
インカの橋というのが観光書に書いてあったが、そこに立ち寄る時間は無いらしい。「また今度ね」と篠田氏は涼しい顔で言うけれど、今度とお化けは出た事がないと昔から言うのだが....
遺跡の入り口のホテルで昼食を済ませた後、列車の時刻にはまだ早かったけど、麓の駅まで降りて行く。葛篭折りの坂を1つ折り返すと、瞬く間に謎の古代都市は姿を消してしまった。駅ではクスコ行きの観光客専用列車が待っていた。そして観光客相手のみやげ物屋が、アルパカの毛で織った製品を、例の胸の前でパン!と広げて「買え」とうるさい。
気に入ったポンチョを父親に買って行くことにしよう。たっぷりと時間があるので、一昨日のピサックの日曜市同様、徹底的に値切ってみた。納得できる値段で買えたのはいいが、その店の夫婦が怒っているのがよく判った。いくらで買ったかは忘れたけど、法外な値引き交渉だったことだけは確かだ。すまん!
ここに生きている人々は、生活の為に観光客に徹底的に媚びを売っているように見え、各国の言葉で「買ってくれ」を言っている。子供は私のバッグに差してあるボールペンをくれとせがむ。かつてこのアンデス一帯を統治していた民族の誇りなどは、微塵も感じられない。そんな見方をする私も驕った人間なのかもしれない。
ほどなくしてクスコに向けて出発した列車の中で、私達はみんな疲れて無口になっていた。篠田氏に食らいついていた私も、帰路の車窓の景色を殆ど覚えていないほど寝てしまっていた。目が醒めたのは山の稜線が黒く見える様な暮れ時で、かなりクスコに近づいていた。
クスコの盆地に降りるスイッチバックでは、クスコ市の夜景をたっぷりと見せてもらった。さすがに観光列車だけのことはある。
私達の乗った観光列車は全席指定なのだが、ケチュア族の8〜10歳位の女の子が、一人で立って乗っている。クスコの学校に行く為に親元を離れて親戚の家に行くのだそうだ。ペルーでは政府の政策によって学校の整備が進んでいるそうだが、昨日のフアロコンドの村にあった学校もそうであった様に、けしてレベルが高いとは言えない。辺境の村よりもペルー第二の都市クスコの方が、レベルの高い私立も揃っているのである。
篠田氏のお子さんは今は親元を離れて、首都リマの学校に通っているのだそうだ。クスコの駅に着く直前の最後のスイッチバックで停車している時に、その女の子は降りて行った。料金は払っていないと思う。多分。
同行の簡易裁判所に勤務しているという鈴木さんが、ポラロイド写真を撮ってあげた。恐らくあの女の子にとって初めての写真だったのではないだろうか?
クスコのホテルに戻ったところで、あの仲良くなった最初の運転手君が、昨日どこかの駅で私に声を掛けてくれた時と同じ笑顔で、私を見るなり「アミーゴ○×△◇※」と迎えてくれた。アミーゴと言われたことが本当に嬉しかった。ドアボーイのおじさんも私を見て嬉しそうに声を掛けてくれた。仲良くしておいて良かった。
一旦自分の部屋にチェックインした後、一階のレストランで食事している時に、自宅への国際電話が通じたというので嫁さんと話して席に戻ってみると、私達の席に大きな銀の盆が運ばれて来るところだった。手慣れた手付きで運んで来たのは、このレストランのマネージャーらしい。仕事に厳しい顔付きがちょっとかっこいい。
それにしてもその銀色の大きな盆に乗っていたのは、クイと呼ばれる大きなモルモットみたいな家畜の丸焼きだ。この地方では、大抵の家でこのクイを食用として飼っており、特別のお祝い等の時にだけそれを食すという。
私達のメンバーの一人がどうしても食べてみたいと言ったので、篠田氏が手配してくれたそうだ。料理はホテル側でやってもらった。それが今私の目の前を通ったのだが、超小型の豚の丸焼きみたいなのが、目の前を通過したときに「なにこれ!」と思わず声が出てしまった。香辛料で本来の味はよく判らないのが残念ではあるが、少し堅かった様に記憶している。又もや様々な種類のジャガイモが出てきた。

その夜の記憶と言えば、先日ピサックの日曜市で買った笛を練習してみたところ、空気が薄いせいですぐに息がきれてヘロヘロとなってしまったことだけだ。時折窓の外をバリバリと騒音をたてて一般車両が走って行く。
明日からは高原列車に乗り、クスコを離れてチチカカ湖やボリビアへと向かう。
考えてみると、既に今日からは日程の後半に突入していることになる。
まだ半分?いや、もう半分である。まだまだ帰りたくない!
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