マチュピチュにて

 列車から降りた外国人はざっと150人位で、中にはダッシュしている一団もある。恐らくは日帰りの日程なのだろう。あのフアロコンドの村で、貴重な時間を浪費したのだから無理もないことか。ここに一泊する私達が、ノンビリと列を守ってバスを待っていると、血相を変えた白人達が数人追い越して行く。

 私達を遺跡まで運ぶくるまは、中型のスクールバスといったところ。バスは谷間の底からマチュピチュまでの13のつづら折りを、一挙に登って行く。バスに揺られながら思うのは、周囲の景色は温帯性の植物に覆われた日本の山奥といった感じで、こんなところにあの遺跡が横たわっているのだろうか?坂道の途中からはその姿は全く見えないのだけど。ウルバンバのすぐ上にありながら、数世紀に渡って人の侵入を拒んだ理由もこの点にある。

 唐突に遺跡が目の前に現れ、思う間も無くマチュピチュの入り口に到着した。

 マチュピチュは空中都市と称される場合もある。数々の説明や写真の撮り方を見て、私も孤高の山の頂上に築かれた都市遺跡のイメージを膨らませていた。しかしそれは少しばかりイメージとは違っていた。遺跡はマチュピチュ山とワイナピチュ山の間の鞍部にあり、双瘤ラクダの瘤の間に築かれたと言った方が正解である。

 遺跡の中に入った私達の一団は、時間の制約が無いのでこまめに足を止め、写真を撮ったり篠田氏の話に聞き入っている。しかし先ほど同じ列車に乗り合わせた外国人観光客は、あっという間に先へ行ってしまった。あの人達は3時の列車に間に合う為に、駆け足で遺跡を巡らなくてはならない。恐らく滞在時間は2時間を切るのだろう。

 それに引き替え、どんなガイドブックにも載っていない貴重な話を聞き、遺跡に見出せるインカの時代の知恵等をつぶさに見る事ができたのは、本当に嬉しい。さすがにこの地に居着いて20年の篠田氏、史実だけでなく自前の推論と検証も披露してくれた。

 さすがにペルーの観光資源の目玉だけあって、遺跡の中はよく整備されており、メインの回遊路と思われるあたりは、雑草も無くよく復元されている。しかし今世紀に入ってハイラム・ビンガムがこの遺跡を発見した時には、空からも発見できないほど木がうっそうとしていたはず。

 このコンパクトな都市は、実際にインカの中に於いてどのような役目を果たしていたのかは、未だに不明な点が多い。発見された当初はスペイン人の前から忽然と姿を消したインカ最後の地を発見!というセンセーショナルなものだったらしいが、最近の研究ではそうではないらしい。 

 一説にはもともとインカの駐屯地だったものが、オヤンタイタンボでスペイン軍に最後の一泡を吹かせた後に、一時的に逃げ込んだ隠れ里ではないかと言われている。確かにこの遺跡の中には精巧な石垣と、粗製乱造の石垣がみごとに混在している。しかし正解を知るものはいない。

 マチュピチュという名前だって、ここに住み着いていたインディオが、この遺跡の名前を聞かれた時に後ろにそびえる山の名前を言ったところが、そのまま呼び名になってしまったという経緯がある。つまり誰も本当の呼び名は知らないのだ。インカは記録・伝達手段としての文字を持たなかった。

 このさほど広くない遺跡には、太陽神殿と住居と畑がきちん区画されていて、信仰と生活と政治が機能していた様だ。畑はもちろんお得意の段々畑で、たかが畑ではあっても石垣はインカの精巧なそれに他ならない。

今は流れてはいないが、こんな山の上にも飲料水をはじめとする生活用水は引かれていた。その水は数キロ先からはるばる引いてきたそうだ。

今まで見た事も無いほど巨大なヤスデを見つけた。そいつはさも面倒くさそうな重たい動きで石垣の隙間に消えて行った。誰かがケーナという立て笛で「コンドルは飛んで行く」を吹いている。ちょっとハマり過ぎである。

 いつの間にか遺跡の中の観光客が激減している。みんな列車に乗ってクスコへ帰ってしまったようだ。私達は夕日に輝くという遺跡の夕景を見る為に、あまり観光客が足を踏み入れない様な小高い場所に陣取り、ゆっくりとそれを待った。そろそろ篠田氏の話が途切れる頃、私はその辺の散策に忙しい。石垣にはちょっと面白い発想の階段が付いていて、よく工夫されていて印象に残る。

 残念ながら夕日は雲に隠れて拝むことはできなかった。

 薄暗くなりかけた頃、麓に向かうバスに乗り込む。上からは模型の様に見えるマチュピチュの駅に着いた頃は、もうすっかり真っ暗であった。やけに木々の枝の間から見える星が多い。いや?点滅しているぞ。それが蛍だと判るまでに少し時間を必要とした。

私達が今夜泊まるの宿は、マチュピチュ駅と殆ど隣り合わせの小さな駅の上にある。

 私達だけを乗せたバスはその近くまで行き、そこで私達を降ろす前に切り替えしを始めたのだが、一旦下がろうとするその後ろはウルバンバ川の渦巻く濁流だ。何かに乗り上げた様で、エンジンをかなりふかしながら無理矢理バックしようとする。ここでまた大惨事が頭をよぎる。もちろん自分がその犠牲者である。と、思ったときには「うわぁ〜」と声を上げてしまった。情けないけど恐ぇよぉ。他のメンバーもやはり恐かった様で、私につられて「うぉ〜」「きゃ〜」などと声をあげている。運転手は半分笑いながら私達を降ろした。

 その後私達は真っ暗な線路の上を、数百m歩いてコテージの様なホテルに着いた。ハロゲン球の懐中電灯が役に立つ。こいつはユカイ村での夜の散歩でもここでも、そしてプーノでのちょっとした冒険でも役に立った。旅行に懐中電灯は絶対必要だと思う。

 先ほどからシトシト雨が降り始めている。

 ホテルのロビーに置いてあるブ厚い落書き帳には、所々日本人の記帳もあった。私もしっかりキザな台詞を書いておいた。

このマチュピチュの谷間にあるホテルは、敷地内に幾つも建てられたロッジ風の集まりになっており、食事の後はシトシト雨の降る中を自分の部屋に向かう。大きな鍵を持って。この鍵はまるで中世のヨーロッパを想い起こさせる様なヤツで、大きな輪っかに大きなキーが付いている。先日のユカイ村では簡単に鍵が開いたけど、ここでは開閉にかなりのコツを必要とする。開かない人は、わざわざクローク棟まで従業員を呼びに行くのであった。

 日当たりの悪そうな谷間のホテルで、中はとてもきれいなのだがそれでもカビ臭い。まぁそれでも私の部屋は南向きなのだから、多少はマシなのであろう....アレ?ここは南半球なのであった。という事は北向きの部屋が日当たりが良いということか。事実、北向きの人の部屋は、私の部屋程ジメジメしていない。それ自体は別に気にすることでも無いのだけど、部屋には無数の百足と蚊がいるので、こいつらにだけは襲われたくないのであった。ベッドの中に百足などいたらと思うとゾっとするので、寝る前には徹底的に周囲を調べてから寝た。今日 マチュピチュ遺跡で見た、大きなヤスデの親分に襲われたら、寝覚めた時には私も巨大な百足に姿を変えて....


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