マチュピチュまで3時間のノンビリ鉄路。しばらく車窓は湿潤な土地を様々な角度から映し出していた。30分位走った頃、とある駅で列車がやけに長く止まっている。

乗務員もみんな降りてノンビリ立ち話をしているし、すぐに出発しそうもないので、外に降りて周囲の撮影などしていたが、なかなか出発しない。少しおかしいぞ。
理由が判明した。困ったことにこの先で土砂崩れがあって、不通なのだそうだ。これからクスコから作業車を呼ぶのだと言う。どう考えても最低1時間半は遅れることになるが、仕方がない。
篠田氏が「それじゃあ村の中を見て廻りましょう」という事で、見たところ周囲2−3キロの小さな村に繰り出すことになった。駅の名前はフアロコンドと書いてある。きっと村の名前と同じだろう。
村の道は舗装なんかしていないし糞だらけで、糞を避けたつもりでも、そこは潰れた糞の上だったりする。何種類かの家畜がいるらしいが、とりあえず泥で汚れた羊の姿が目に付く。もちろんニオっているのは当然であった。
私達は取りあえず、駅から村の中心と思われる方向へ、メインストリートを進んで行き、ほどなく村の中心にある教会と、その前にあるアルマス広場に出た。観光とは殆ど縁の無い村だから、村人達はこの一団の襲来を「何事だ?」とばかりに見ているが、それほど珍しそうに見ているわけでは無いところを見ると、クスコあたりで外国人を見慣れているのではないかと思う。
村のアルマス広場では、大人2〜3人のグループが幾つか長閑に座って話をしていた。大人達はあのトラックの荷台と区別のつかない乗合バスを待っている様だ。玉ねぎをっぷり詰めた袋を持っている村人が居たので、担がせてもらったが、めちゃくちゃに重たかった。しっかり笑われてしまった。
今日は月曜日だから、子供達は学校に行く。皆、上半身同じ薄いセーターを着ておりこの公立学校の制服はペルーのあちこちで見かけた。足にはタイヤを材料に使った草履を履いている。他の村人も、タイヤ草履か革靴のどちらかを履いていた。
2〜3台のトラックに混じって、どこかのスクールバスらしきワゴン車が置いてあって、車体の横には「さがみの幼稚園」としっかり書いてある。園長先生、廃棄された中古車は、こんなところで活躍しています。ちょっと中に乗ってみたが、園児用に作られているのでシート間隔は恐ろしく狭い。地元の人々はどうやって乗っているのだろう?

少々旧いが、結構立派な教会が建っている。篠田氏が頼んでくれたので、私達はなんと外国人としては初めて、その教会に足を踏み入れることになった。いつの間にか列車に乗っていた他の観光客も集まって来て、一緒に中に入って行く。
中に入って驚かされるのは、壁から天井いっぱいに描かれたフレスコ画と、毒々しいまでにリアルなイエスとマリアの像のすばらしさである。フラッシュさえ焚かなければ、撮影だってOKだという。残念ながら私の安カメラでは暗くて写らない。
子供でも手の届くところまでフレスコ画が書かれているが、殆ど傷んでいないことから、この村の信仰の厚さを伺い知ることができる。大事にしているのだ。2階のバルコニーに上がったりして暫く退屈をしのいでいたが、この教会に入れてくれたおじさん達も、この観光客の集団をものめずらしそうに見ていた。
教会の外に出ると篠田氏は、私達を受け入れてくれた教会への寄付を集め始めた。他のガイドに率いられた観光客も、黙って献金に従う。
外にはどこから聞きつけて来たのか、大勢の登校前の子供達が私達を取り囲んで大騒ぎであった。彼らにとっては初めて見る外国人なので、もう大人気。一緒に記念撮影をしながら、彼らの文具を見せてもらったところ、ノートの紙の質はかなり悪く、しかし一枚一枚を大事にしている様だった。
思いがけず「ミスター薩摩」と声を掛けられて振り向くと、ロスからリマまでの機内でご一緒して戴いた中井さんが、ニコニコしながら手を振っている。
中井さんは既にナスカの地上絵を見てきたそうで、話によると思った以上にかなり荒れているということであった。それにしても中井さんの一行は、マチュピチュに日帰りで行くのであって、本来はこんなところでノンビリしている時間は無いはず。我々はマチュピチュで一泊できるので、むしろこの小さな村でのハプニングをエンジョイしているのに。
私はしばらく一人で村の中を散策することにした。実は恐いのだ。路地から路地へと足を延ばすに連れ、この村が盗賊やテロリストの隠れ家であったり、好戦的な村人であったりしたら、私はこの異国の地でその一生を終わることになるのかもしれない...そんな妄想とは関係なく、漆喰あるいはアドベの壁に仕切られた村の路地は、いたって長閑なものだ。
それにしても2階屋が多い。このモロい材質で、どうやって2階の床を維持できるのかが不思議だったのだけど、謎が解けた。角材或いは丸木を横に並べていたのだった。いずれにせよ家の真ん中に柱を立てるということはしていないので、構造上1階も2階も余り広くはできない。一軒の洋服の仕立て屋らしき家屋では、1階の天井つまり2階の床がはちきれんばかりに垂れ下がっていた。それでも人は住んでいるのだから、大したもんだ。
歩き廻っているうちに、困ったことに大きい方の便意が。ちょうど私の方を見ている男性がいたので、トイレを貸してもらおうかと近付いたら中に引っ込んでしまい、こちらも言葉が通じないから、無理に中に入って行くのも躊躇われた。列車に戻ればトイレはあるのだが、結構距離がある。
今度はおばあちゃんが家の前で立っていたので、「トイレ貸して」と日本語+身振り手振りで伝えようとするのだけども、あちらもケチュア語で何かを言っているだけで、理解してもらえない。結局民家のトイレを諦めて列車まで戻った。
できれば列車のトイレではしたくない。止まっている列車から落ちる汚物。これほどマヌケなものは無いと思う。下には線路の砂利が見えている。躊躇の末、旅の恥はかき捨てということで落着した。落着とはなんともぴったりだったりする。
この列車が止まっている線路の脇に、飲料水兼生活用水の直径2m位のタンクがあって、そこでは垂れ流しトイレの脇で洗濯や野菜の泥落としをやっている。住民の皆さんには大変申し訳ない。
遠くクスコ方面から、ディーゼル機関車の音が聞こえてきた。ブルドーザを乗せた気動車が、立ち往生した我々の横を通り抜けて行く。つまりこれから崖崩れの現場に向かうということだ。気動車はヤンヤの喝采を受けながら、現場に向かって消えて行った。
我々は今日、あの世界的に有名なマチュピチュを訪れる為に列車に乗ったのに、まだこんな処でモタモタしているのだ。しかし腹は立たない。どうも身も心も現地人化しているらしい。

さておなかがスッキリしたところで、再び村に足を向ける。
村の入り口付近には学校があって、先ほど列車に帰る時には、既に授業が始まっているクラスと、先生が居ないのをいいことにバタバタと生徒が暴れているクラスがあった。特に柵がある訳でもないから、道路からまる見えだ。子供達はケチュア系の顔が多いが、先生は皆スペイン系の顔が多い。
校庭では篠田氏をはじめとする日本人観光客が、子供達や先生方に囲まれている。即席の折り紙教室が始まっているらしい。時ならぬ異邦人の来襲に、先生達も良い教材だと思ったのか、一緒になって楽しんでいる。
年配の日本人は鶴などの情緒的なものを折っているのだが、私が折れるのは飛行機くらいなもの。それでもせがまれて飛行機を幾つか折ってやると、子供達はみんな私の周りに集まって来てしまった。中には誰かに折ってもらった鶴を開いてしまって、飛行機に変身させて欲しいと差し出す始末。
しかし一番熱心だったのは、先生方だ。生徒の分をいちいち折っていたのではキリが無いので、先生を相手に飛行機教室を開講させてもらった。
紙は貴重品の様子だったが、これを機にホルヘ・チャベスの様な飛行家が生まれる事を期待しよう。
気が付いたら、日本人は私一人だけになっていた。別れ際には生徒や先生から握手責めにあったのは言うまでもない。
列車に戻っても、一向に走り出す気配は無い。私の席の周囲の人に断って再び列車の外に出ると、今度は村と反対の方向に足を向けた。引き込み線があって、その終点には黒い革ジャンを着たケチュア族とスペイン系の混じった男性が、とうもろこしを旨そうにかじっている。食べ終わると彼の口から「日本人ですか?」え?日本語が。
片言の日本語ではあるが、私達は会話を続けた。彼はクスコに住むガイドで、5ヶ国語を使えるそうだ。今日はドイツ人のお供でマチュピチュに向かう。今一番の希望は日本語をマスターすることと、日本に行くことだそうだ。やはり日本人は金になるらしい。
内容は忘れたが、いろいろ質問された。そのどれもが日本人では当たり前でも、外国人からは不思議に思えることで、簡単な日本語と英語を交えて説明したが、彼に納得させればさせるほど、私も日本語が解らなくなってきた。ニホンゴムツカシーデース。
列車が汽笛を鳴らした。多分村のあちこちに散らばった乗客を、呼び集める為なのだろう。二人はあわてて列車に戻る。楽しい3時間のアクシデントだった。
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