5月2日

クスコからマチュピチュ行きの列車

 ホテルを出発したのは、まだ空がまっくらな朝であった。

クスコ市内にある二つの駅の片方に向かう。5分程で到着したが、その手前で薄明かりに蠢く人々々...夜明け前の市の賑わいであった。知っていれば是非ここに来たかった。

 市の中程にある建物だか塀だか解らないが、大きな木の扉が開いて私達のバスがそこに入って行くと、すぐにそれは閉じられた。恐らく物売りや無賃乗車、或いはテロリストへの対策かもしれないが、一般市民はシャットアウト。

 さすがにマチュピチュは有名な観光地だ。ツートンカラーで3両編成のディーゼル列車に、大勢の観光客が乗り込んで来る。全席指定なので立っている人はいないが、地元の人々は乗らないのだろうか?篠田氏の話では、一日に3便の列車のうち、これは観光客専用なのだそうだ。 

 更にこれが国有鉄道で赤字路線であり、ペルー政府は売りに出しているとも聞いた。アウトバゴンという名前が付いていたが、鉄道の名前なのか観光列車の事を指すのかは、判らなかった。

 今日は篠田氏の隣に座った。道中聞きたい事がヤマほどあるはずだ。

 つい先ほどから雨が降っている中を、列車はゆっくり走り出して、すぐに止まった。

 初めて体験するスイッチバックだ。クスコの盆地を抜けるには、イロハ坂の様な道と同じ方法でなければ無理の様だ。止まる度に列車の外を男性が右に左に走っているのは、線路の切り替え担当者らしい。

 ゆっくりゆっくりそして何度も前後を変えながら、列車が上り詰めるまでの間、急斜面に建てられた民家を嫌でも見ることになる。火山性の赤土と、ちょっと大雨が降ったら崩れ落ちて来そうな民家が、印象に残っている。地震は無いのだろうか?申し訳ないが惨事が頭をよぎる。

 私達の乗った列車は、十分に横幅の広い立派な客車なのだが、先日クスコに来た日に見たあのトロッコの様な狭軌の線路を走っているのかと思うと、今にもゴロリとひっくり返ってしまうのではないかと思える。はっきり言って恐い。

 ようやく頂上に出たところで、あの感動的なアンデス高原のなだらかな起伏の世界が広がった。ここからはスムースにマチュピチュ方面に向かうのかと思ったら、又止まってしまい、今度は乗務員が大きな電気機械を持って降りて行った。そして電柱からぶら下がったむき出しの電線にそれを接続すると、何か話をしている。

 どうやら閉塞区間を走る為に、次のポイントまでの間に他の列車が入っていないかどうかを確認。あるいはこれからこちらが入るぞという連絡をしているらしい。

日本では昔タブレットを使っていたけど、ここでは電話を使っている。 

それなら電柱にその電話機をつけておけば良さそうなものだが、簡単に盗まれてしまうということらしい。仕方が無い。リマの町中でも家のインターホンの前に、強力な鉄格子が付いていたのを思い出す。

 樹木の殆ど立っていない国籍不明の景色の中を、トコトコ走りだした。 先ほど迄の雨に濡れて一層赤みの増した赤土の上には、稲科のイチュが敷き詰められている。

 赤土と言っても関東ローム層の様な茶色ではない。どちらかと言えばワインレッドを想い浮かべればいい。なだらかな起伏の底には、痩せた表土を抉り取るように小さな川が流れていて、周囲の赤土の色に染まっている。小さな川でも水量は豊富だ。この赤い川はウルバンバ川に流れ込み、一昨日みた赤茶の染料になっているのだろう。

 畑がたくさんあるけど、特に隣の畑との境界線というものは見たことが無い。

 中年の男性が背中に大きな瓶を背負って歩いている。多分チチャ酒を買い求めに行くのだな。


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