
先ほど下ってきたクスコのすり鉢の淵を再び登ると、市街を見降ろす丘の上にその巨大遺跡があった。最大の石は180tもあるそうで、一体どうやってここまで人力だけで運んだのだろう?遺跡そのものは良く整備されているので、特に新しい発見は無いのだが、その巨大なスケールには圧倒された。それだけで十分だった。
遺跡の前の広場は草地になっていて、大勢の家族連れがピクニックに来ていた。そこかしこで、サッカーに興じている。遺跡の中に入って行くと、観光客の記念写真撮影をあてにして、記念民族衣装を着た子供が「写真を一緒に如何?」と少しうるさい。
篠田氏の解説が始まった。スペイン軍に対して鉄壁の守りを誇ったこの要塞も、夜は戦わないというインカの不文律を突かれて、あっけなく陥落したそうだ。
のどかな気分のその時、突然の雷雨が襲う。遺跡の壁際に身を寄せたり、石のアーチの下に入ったりとしてみたが効果は無く、私と幾人かは、あわててバスに戻った。先ほどの民族衣装の子供達は、遺跡の陰で普段着に着替えているところだった。よく見ると顔が欧州系なので、インカの雰囲気は全く感じられない。
少し小降りになったところで、まだ戻ってない人がいるので、レインコートを着て傘を持って出た。篠田氏はビショ濡れでも平気な顔であった。
再び遺跡の中を見て回る。しかし遺跡の頂上に出た時は、落雷する中を周りに何も無い所に身をさらすので本当に恐かった。

頂上には太陽信仰の円形の神殿跡がある。神官はどの様な司祭を行ったのであろうか?およそこの世界で太陽という、これ以上の存在は考えられない存在を唯一神と掲げ、インカは国家統一を図った。そしてそれ以上の存在、つまり太陽をはじめとする万物を創造したという神を狂信した異邦人によって、帝国は崩壊させられた。キリスト教とスペイン軍である。
サクサイワマンから眼下に見降ろせるクスコの市街は、赤茶けた周辺の土の色が、そのまま屋根の色になっている。クスコを取り囲む山には、等高線状に線が入っている。
インカの畑跡、いや、まだ使っているかもしれない。どうやって等高線の様に正確な高度で畑を作ったのかと思ったら、答えは水にあった。なるほど水面は正直だ。
私達の宿泊するホテルが良く見える。クスコは3階建て以上の建築は認められていないのだが、このサヴォイホテルは規制以前に建てられたそうで、遠くから判別は出来た。と言っても、都会に持ってきたら全く目立たない、小さな5階建てのビルだが。
先ほどの雨のせいで、広場のサッカー人口はかなり減っていた。夕方と言うには少し早いが、私達もクスコに向かった。
サクサイワマンに近い道端では、中年の女性が昔ながらの織物を実演している。見せ物なのであって、写真を撮れば代金の要求は当たり前なのだが、滝本さんはしっかり隠し撮りしていた。
インカ道と呼ばれる昔の交通網の跡がある。驚いたことに、山だろうが谷だろうが、お構い無しに一直線に作られていて、その強引さには脱帽する。山の登り降りにはジグザグにするとか、そういう発想は無いようだ。きつい山道を非力なリャマに荷を背負わせて、騙し騙し運搬させたのだろうか?
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