5月1日

ピサックの日曜市

 外がうっすらと明るくなりはじめた頃、外は土砂降りの雨になった。今日は雨であろうかと心配していたが、すっかり明るくなる頃には殆どやんでいた。

5時半を少しまわっていた。昨夜の従業員の話ではボイラー係の出勤が5時のはずだ。まだだれも起きていない時間帯のシャワーは熱く、朝シャンには充分な出具合であった。相変わらず湯船はウルバンバ川の様に茶色く濁っていたが、もう気にならなかった。

 TVやラジオの無い部屋で、読書をしようにも照明が暗すぎる。外の明かりを取り入れる為にカーテンを開けると、低く垂れこめた雲の合間には青空さえ見えている。篠田氏が庭を散策していた。

「おはようございます。」「おはようさん。見てごらん、ハーブが自生してるよ。」見ると石畳の隙間から、どこにでも在りそうな葉が自生していた。ということで、早速ハーブ・ティータイムになった。幸いテラスの湯沸かし器は自由に使えたので、何杯でもおかわりが出来る。何種類かのハーブを紹介してもらった。

 素朴だがさわやかな香りを楽しみながら、篠田氏のアメリカ大陸の人類起源論に耳を傾けた。約2万年前にアジアからベーリング海を徒歩で渡って来たモンゴル系の人類が、地球を縦に半周して2万km離れた南米最南端に到達するのには、毎年1km移動するだけでよい。なるほど分かりやすい計算だ。雨上がりのテラスの下で話が弾むうちに、皆さんが起きて来た。ハーブはたちまち売り切れとなった。

 ユカイ村のホテルを出て、ウルバンバ川沿いを遡り、ピサック村の日曜市に向かう。

 単調な道ではあったが、川の蛇行の様に谷間の地形も蛇行する。場所によって日照時間に大きな差が出るわけで、作物の種類も違えば種蒔きや収穫の時期も異なる。また、作付けの時期を違えるのは、インカ以前からの知恵で不作に対する防衛でもある。

 国道沿いの民家から、チチャ酒の入った壷やプラスチック容器を抱えて出てくる人に出合う。もちろん売ってもらうわけだが、家毎に味も違うのだそうだ。

 途中、前回の大統領選でフジモリ氏に破れた人の実家を紹介されたが、昔の大地主であった。数年前までの軍政権が始まった頃、日本の農地解放の様な事が行われた。その多くが没落して行く中で、一部は商才に活路を見出す家もあった。昨夜のホテルも、元は大地主の家であったものを、改装してホテルに仕立てたのだという。

二つ目の集落は比較的大きい。ここがピサック村だった。塀に囲まれた石畳の道をクランクに進んで行くと、学校の校庭位の広場に出た。

 櫓を組む様な大がかりな店は、まだ多くが準備中であった。しばらく一人で村の奥へと足を向ける。村全体が商業で成り立っているからであろうか、どの家も解放的で挨拶一つでどこでも入れてくれた。

 小さなパン工場では焼きたてのパンを焼いている。これは私の口にあってうまかった。篠田氏に引き連れられて、ツアーの皆さんも工場に入って来たので、私は更に村の奥へと入って行った。異邦人が自分一人だけになるのは少し恐かったが、村人は横目でカモを見ながら忙しく開店準備をしている。

 村の外れの村道まで出たところで、荷台に人を大勢載せたトラックが到着した。一見して乗合バスらしい。買い物客や売り子がワラワラと降りてきた。日本なら道交法違反でとっくに捕まっているところだろうな。親戚か兄弟なのか、待ちかねたように駆け寄っている人もいる。後で気が付いたのだけど、この道はピサックの遺跡に通じていたはずだ。行かなかったけど。

 再び村の市に向かってUターンすると、今通って来た道はバザールに変身していた。気になったのは帽子。どうもあの独特の山高帽は部族毎にデザインや形が異なるみたいで、路地に並べられた帽子は、それを売っている婆さん達の衣装の違い以上のものがある。一つ欲しいとは思ったが、既にペルー入国以前に外国人と間違われた私がそれをかぶると、シャレにならないような気がして、買うのを思いとどまった。

 店はどこも間口が狭く、中には電灯が点いていないから暗い。

 お、チェスだ。それもデザインが「インカ対スペイン」なのが面白い。

 店主が身振り手振りを取り混ぜて説明してくれたので言いたい事はだいたい判った。どうやらこの店が工房らしい。インカの末裔ケチュア族系の顔つきをしたこの店主は、チェス盤の上でスペインをやっつけるのだと言う。「OK判ったよ。他の店を見てから又来るね。」と言ってその店を出たが、駒が荷物になるのが嫌で2度と戻らなかった。私は地球の裏側で嘘をついてしまった。

 みやげ物屋をひやかしながら広場に戻ってみると、殆どの櫓ができ上がり、織物を中心とした商品がたわわに掛かっていた。デザインはいかにもインカらしいお決まりのものから、彼らの生活に深く関わったものまで雑多。

 広場に出店している人達は、一週間に一回しか商売のチャンスが無いのだから真剣であり、こっちがひやかしで見ていると「買って!」「いいけど一周してからね。」「本当だな?それなら名前を教えろ」ということになる。

 いつの間にか陽が高くなって来たので、風景は真夏のコントラストに近い。高々と櫓に掲げられた織物や、色とりどりの作物。そして原色の民族衣装を着た女性達が、市をカラフルに彩っていた。どうでもいいけど、女性の後ろ姿からは、年齢は全く判らない。日本人の感覚なら若い娘が着るような配色のスカートを、婆ァチャンが平気で着ているのだから。おまけに、成人でもかなり背が低いので、子供か大人かは正面に近づいてみるまで正体不明なのであった。

 広場の片隅では、これもまた露店の食べ物屋が出ていて、肉を煮込んだスープを出していた。「食べてみようかな?」とは思うものの、征露丸を持っていない身としては冒険できない。腹がパンパカパーンになったら困るもんね。

 さて、みやげ物を買うとするか。まず楽器から。パンフルートに似て、竹を横に2列に並べた笛(名前忘れた)を買った。そしたら横の店にいたおっさんが、貸してみろというので渡してやったら、いきなり演奏を始めた。ちょっと嬉しかったが、ちょっときたないのであった。多分客の居ない時には、売り物を吹いているんだろうなぁ。旅行中に「コンドルは飛んで行く」を吹けるようになった。

 次に25人分の職場へのみやげは、小さな亀の様な形のオカリナに決定。店の物を全部買うからと言って、半額にさせた。約1000円であった。包装はピンクのビニール袋に入れてくれたのだが、薄くて細かい穴だらけの袋であったのが印象に残っている。

次に本命のアルパカやリャマの毛で織った織物を物色していると、中年の女性が自分の店に誘うので、早速交渉に入った。このおばさんとの駆け引きが面白かった。こちらの目標は言い値の半額であったが、結果は2/3位で妥結した。

 価格交渉はおばさんが自分の左手にボールペンで書き、擦って消しては更に安くなった価格を提示するのだが、お互いに共通言語は数字だけなので、交渉のほとんどが体を張った真剣勝負。気に入らなければ、「じゃーね」と帰ろうとするだけでドンドン値段が下がる。そのうちに相手の顔が引きつって来たので妥協することにした。そろそろ集合時間だ。


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