ホテルで一旦昼食をとって、オヤンタイタンボの遺跡に向かう。この遺跡はユカイ村からは川下になる。途中ウルバンバの村を通過する時に、街道に面した警察署の前で一旦止まった。ここは検問所を兼ねていて、強行突破できないように道が小さく盛り上がっている。つまり徐行しながらこの盛り上がりを越えなければ、相当のショックで車だけでなく、人体にも危険なのだ。ゆっくり越えてもドシンという感触だった。篠田氏はこれをコントロールと称していた。コントロールというと、なんとなく動かすというイメージであるが、本来は「制御」だったんだなぁと改めて思い返す。
ウルバンバ川に沿った谷をしばらく行ったところで、オヤンタイタンボの村に着いた。例によってアルマス広場があって、そこで降ろされた後、遺跡に行く前に村の中を見物して回った。
住民はこの観光客を歓迎するでもなく、無反応である。篠田氏によれば、ここは観光ズレしていないのだそうだ。どの家も立派な石垣で区切られていて、インカ時代からの上水と下水が完備されている。いずれにせよ全てはウルバンバ川、つまりアマゾン川にタレ流しているわけで、限りなく太平洋に近いこの高原から、遥々とその汚物は大西洋めがけて流れて行くのだ。
いくつかの家の中も見せてもらった。家といっても木の扉を開けると、まず中庭があり、そこまでしか入ってはいないのだが。
スペイン系との混血が進んでいるようで、インディオ独特の顔とはあきらかに欧州人に近い人もいる。そう言えば、地元の人々はインディオと言われるとイイ顔はしない。それもそのはずで、コロンブスが勝手にインドと間違えて西インド諸島と命名し、その後も誤りは正されることも無く今日に至っているわけだから。
峡谷にあるこの村は、家と家を仕切っている石垣の上に山の尾根が見え、オヤンタイタンボ遺跡の反対側中腹には、別の遺跡も見えている。

先ほどの広場に戻る手前で、住民のみやげ物攻勢が始まった。ポンチョや絨毯?を胸元でパンと広げて見せて、「アルパカ」と言っている。いちいちそのパン!をやっている。村中に観光客来たるの伝令が飛んだらしい。そこここの家から手芸品等を持った住民がワラワラと出てくる。
ツアーの女性陣は「いくら?」「高い」「これかわいい」などと元気に値切っている。
広場に戻って気が付いたのだが、建物の入り口の上に「コカコーラ」「ペプシ」というロゴの書いてある、50cm四方くらいの看板がぶら下がっていて、それが飲食店や雑貨店の印になっている。少し喉が乾いたので買ってみようかなと思ったけど、冷えていないコーラを飲まされるという事に気が付いたので、思いとどまった。これはカンベンできない。
民族衣装というより、独特の着衣に山高帽をかぶった年老いた女性が、数人でチチャ酒を飲んでいる。トウモロコシから造る白濁酒で、これは絶対一度は飲んでみたいと思っていたのだが、高山病や腹下しが恐くてこれも思いとどまった。これから遺跡に登る前だし。何処かで売り物があるかもしれないし。
一緒に記念写真を撮らせてもらったら、しっかりカネを請求されてしまった。その中の一人に小銭を払ってやったが、これも分けようというつもりは無い様で、他の婆さん達もニャーニャー(そう聞こえる)言いながら手を出してくる。キリが無いと思ったので、「あんた達で分けろよ。」と捨て台詞を吐いて退散した。もちろん日本語で。

そうこうしているうちに、村民の売り子が土産ものをいっぱい持って、私達にこれを買えとしつこく迫って来る。早々に遺跡のところまでバスで移動するのだが、これまたワラワラと追って来た。バスを降りて門をくぐると遺跡の敷地に入る。しかし遺跡の中までは村人は追ってこない。そういうルールになっているらしい。もし彼らが自らそう決めて、なおかつそれを守っているのであれば、大したものだと思うが。
インカの残党がスペイン軍に対し、最後の抵抗を試みて勝利を納めた場所、として有名な要塞兼住居跡がここである。その勝利の直後、彼らは更に奥地のビルカバンバに引き隠ってしまう。ウルバンバ川の流れる谷間の中でもここはかなり狭くなっており、インカの残党を制圧するためのスペイン軍も、細い隊列を組まなくてはならない。桶狭間の戦いの様に、少ない人数で大軍を撃破するには格好の場所だと思う。この谷に面した急斜面の階段状の要塞だ。ここを攻め落とすのは並大抵のことではあるまい。
よく手入れされている。ということは、その辺にひょっこりと過去の住人の遺物が顔をのぞかせるということも無いわけだ。などと想いを巡らしながら、頂上に続くたった一本の通路を兼ねた階段を登る。
大きな石積みには、所々二つの突起があって、建設工事の時に、木の棒で支える引っかけに使われたらしい。「石の乳房」と呼ばれているそうだ。頂上近くにインカの遺跡では他に類を見ない「6枚岩」がある。ガイドブックに載っていたので見覚えがあったが、写真で見るより2回りも大きく見えた。裏はどうなっているのだろうと調べてみると、この岩は立っているのではなくて、土手に立てかけてあった。
「6枚岩」から更に上へ横へ散策してみた。居住区から畑に向かう道は崖にへばりつくように細い。壁面の土は見るからに脆くて、ちょっと触っただけでもグズグズと崩れそうだ。間近で見ると道に面した処だけは、イチュと言う草を織り込んだ漆喰になっていた。
普段何の運動もしていない体に、やや空気が希薄であることも手伝って、息が切れるのが情けない。それでも散策を続ける体が軽いのは、好奇心のせいだろうな。
急な階段を下ると、水浴場跡がある。跡とは言っても今でも水は流れている。ちょっと寒くて水も冷たいので、こんなものをわざわざ造っても一体どの季節に水を浴びたのでろうか?と首を傾げたくなる。水源をたどってみたら、山の方から引いていた潅漑用水からの分水だった。
遺跡の出口に戻ると、先ほどのみやげ物売りの住人達が待っていた。一時間以上もここに居たのだから、ノンビリしたものだ。それほど我々が貴重な現金収入源になるのか。
遺跡の出入口には、門を一辺とした四角い線が地上に引かれており、けしてその中には入って来ない。そういう取り決めがあるらしい。織物を胸の上あたりでパン!と広げて見せる独特のスタイルによる売り込みが始まる。ほとんどが子供と女だ。どこで教わったのか「アナタコレカッテクダサイ」の日本語が耳障りだ。

どさくさに紛れて、8才位の男の子が、私のバッグに差してあるボールペンをくれと言っている。何か物々交換なら良いかなと思ったが、彼が何も持っていなかったので断った。こっちは羽振りもいいけどガメツイ日本人なのだ。ナメてもらっちゃ困るよキミ。こちらの女性陣は「いくら?」「たかい」の応酬に余念が無い。
川まで下って行くと、インカの橋がある。と言っても礎石だけがインカ時代のもので、それを土台にワイヤーの吊り橋が架けられている。これを渡ったところで、白いカビの様な斑のあるサボテンがあった。篠田氏によれば、この白斑は赤い染料になるのだそうで、そういう虫を飼っているとのこと。どれがその虫なのかは判らなかったが、白斑は指先に着けても確かに真っ白だった。
橋の手前では、おもちゃの鉄道の様な線路を渡る。多分トロッコの線路跡だろうと思ったら、クスコからこちらに向かった時に見たあの鉄道路だった。マチュピチュに向かう時には、再びここを列車で通るそうだ。立派な国有鉄道だった。失礼。
相変わらず川の流れは急で、落ちたら助からないだろう。

インカをはじめとするアンデスの文化には、コカ以外の麻薬が様々に用いられていたそうだが、道端にも黒い小粒の種子をたくさん抱えた枯れ草が立っている。これが麻薬の一種になるそうだ。覚醒剤なのか幻覚剤なのかは聞き忘れたが、手に取ってみたところ添乗員氏が「絶対にお止め下さいね。二度と海外旅行できなくなりますよ。」と忠告してくれたので、人の道を外さずに済んだ。非常に心残りではあったが。
尾根の向こうに夕日が沈む。再びユカイ村のホテルに戻った。
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